ヘンリー・フォードの名言

ヘンリー・フォードは1863年7月30日、ミシガン州ディアボーンで農場を経営する一家の長男として生まれました。

母が13歳のときに亡くなり、ヘンリーは大きなショックを受けます。

16歳で高校を中退して家を離れ、デトロイトにて見習い機械工として就職。

そして、28歳の時にエジソン照明会社の技術者となります。

30歳の時にチーフ・エンジニアに昇進し、1896年に自作4輪自動車の製作に成功。同年、尊敬するトーマス・エジソンに初めて会い、エジソンは自動車への夢を熱く語るヘンリー・フォードを励ましたそうです。

今回は私が好きなヘンリー・フォードの英語の名言を5つ紹介したいと思います。

Anyone who keeps learning stays young. The greatest thing in life is to keep your mind young.

20歳だろうが80歳だろうが、学ぶことをやめた者は皆、老人だ。 学び続ける者は、若くいられる。

Whether you believe you can do a thing or not, you are right.


あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもあなたが思ったことは正しい。

When everything seems to be going against you, remember that the airplane takes off against the wind, not with it.

全てのことが向い風のようにあなたに襲いかかってきている時、このことを思い出しなさい。飛行機は追い風では離陸できない。向い風だからこそ離陸できる。

If they had asked their customers what they wanted, they would have said, “I want a faster horse.”

もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう。

*興味深いフレーズです。車のない時代にお客に早く移動できる方法を聞いても出てこないこと、世の中にない商品は自分の頭で創造する必要があることを言っています。

If there is any one secret of success, it lies in the ability to get the other person’s point of view and see things from that person’s angle as well as from your own.

成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。

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ウォルト・ディズニーの名言

ウォルト・ディズニーは1901年12月5日、シカゴの鉄道員の家庭に生まれます。その後、一家はウォルトが幼い時にミズーリ州へ引っ越して農業を始めます。

少年時代から絵を描くことが好きで、10歳から絵画教室で本格的に絵を学ぶようになり、高校入学後に第一次世界大戦が勃発すると高校と美術学校を退学。衛生兵として戦地で兵士の治療をします。

大戦終結後に帰国したウォルトは、漫画家としての活躍を目指して新聞で漫画を描く仕事を始め、生活のために雇われた短編アニメの作画の仕事を通じてアニメーターとしての資質に目覚め、1920年、個人事務所を設立したウォルトは初のオリジナルアニメを制作します。良い評価を得て、仕事も順調に舞い込むようになります。

しかし制作に没頭し、資金繰りが乱雑になってしまい倒産してしまいます。その後、再起を図り、ハリウッドでディズニー・ブラザーズ社を設立。作品の大ヒットにより、ディズニー社は急成長します、

しかし、今度は興行師との契約料の問題から社員の引き抜き工作を仕掛けられ、倒産寸前に追い込まれます。

ウォルトは再建のための新しいキャラクターを求め、度々登場させていた敵役のねずみを主役に抜擢。「ミッキー・マウス」が誕生しました。ミッキーが実は敵役であったのは意外です。

1955年、カリフォルニア州アナハイムに土地を購入してディズニーランドを開設します。

今回はウォルト・ディズニーの名言を3つご紹介致します。

All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them. I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。

The special secret of making dreams come true can be summarized in four C’s. They are Curiosity, Confidence, Courage, and Constancy.

夢をかなえる秘訣は4つのCに集約される。それは、「Curiosity-好奇心」、「Confidence-自信」、「Courage-勇気」そして「Constancy-継続」である。

That’s what we storytellers do. We restore order with imagination. We instill hope again and again and again.

それこそ私たち物語の語り手たちがやるべきことだ。想像力で悲しみを癒す。人々に何度でも希望を与え続けるのだ。

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オプラ・ウィンフリーの言葉

1954年アメリカ、ミシシッピー州生まれのテレビ番組の司会者、女優、慈善家です。司会を務めた「オプラ・ウィンフリー・ショー」は米国のトーク番組史上最高の番組であると評価されています。

日本ではあまり知名度が高くないですが、タイム誌が世界で最も影響力のある人物の一人として彼女を取り上げたことがあり、アメリカ大統領候補にもなりかけたアメリカでは誰もが知っている大人気の女性です。

私もアメリカ出張中にホテルのTVで「オプラ・ウィンフリー・ショー」を何度か見ましたが、大変パワフルな女性でした。

オプラさんはたくさんの名言を残していますが、私が好きな5つをご紹介させて頂きます。

Be thankful for what you have; you’ll end up having more. If you concentrate on what you don’t have, you will never, ever have enough.

今あなたが持っているものに感謝すれば、もっと多くのものを手にすることができるでしょう。もし、あなたが持っていないものを気にしすぎたら、決して満足は得られないわ。

What I know for sure is that what you give comes back to you.

間違いなく言えるのは、人に与えたものは自分に戻ってくるということ。

The best way to succeed is to discover what you love and then find a way to offer it to others.

成功するための一番良い方法は、自分の好きなことを見つけて、それを他の人のために行うこと。

The biggest adventure you can take is to live the life of your dreams.

あなたにとっての最も大きな冒険は、あなたの夢に生きること。

Doing the best at this moment puts you in the best place for the next moment.

この瞬間にベストを尽くせば、次の機会には最高の場所に行けるわ。

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オードリー・ヘップバーンの言葉

オードリー・ヘップバーンは1929年5月4日、ベルギーで英国人の父とオランダ人の母のもとに生まれました。終戦後、オードリー母娘はロンドンに移住。オードリーは生活を支えるために映画やテレビ、舞台の端役の仕事を始め、撮影で訪れたフランスで女性作家のコレットに見出され、ブロードウェイ上演作品の『ジジ』の主役に抜擢されます。そして『ローマの休日』のアン王女役のスクリーンテストにも合格、この映画は大ヒットし、大スターとなりました。

オードリー・ヘップバーンは多くの名言を残していますが、私が気に入っているオードリーの名言5つをご紹介します。

Nothing is impossible, the word itself says I’m possible!

不可能なことなんて無い。単語自体が私は可能だと言っているもの!

Opportunities don’t often come along. So, when they do, you have to grab them.

チャンスなんて、そうたびたびめぐってくるものではないわ。だから、いざめぐってきたら、とにかく自分のものにすることよ

You can tell more about a person by what he says about others than you can by what others say about him.


人の評価は、他の人たちの意見よりも、その人が他の人たちについてどのように言っているのかでより分かるものです。

As you grow older you will discover that you have two hands. One for helping yourself, the other for helping others.

あなたが年を取るにつれて、あなたは2つの手を持っていることに気付くだろう。1つは自分自身を助けるためのもの、もう1つは他人を助けるためのものだ。

The greatest victory has been to be able to live with myself, to accept my shortcomings and those of others.

私にとっての最高の勝利は、ありのままで生きられるようになったこと、自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです。

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ウィンストン・チャーチルの言葉

ウィンストン・チャーチルは第二次世界大戦中の1940年~1945年までイギリス首相を務め、他のヨーロッパ諸国がアドルフ・ヒトラーの手に落ちていく中、自国を守り抜いた不屈の男です。

この方が残した言葉の中で、特に私の心に残った言葉を5つご紹介します。

最初のフレーズは私が昔から使っている古い手帳の最後のページに残っていました。

Success is the ability to go from failure to failure without losing your enthusiasm.


成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。

A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty.


悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。

We make a living by what we get, but we make a life by what we give.


我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る。

Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts.

成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である。

Kites rise highest against the wind – not with it.

凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。

最初の2つのフレーズはチャーチルがいかに不屈の男であるか、そして楽観的な方であるかを表しています。

そして、3つ目のフレーズはliving、lifeという2つの英語の深い意味を改めて考えさせる名言だと思います。

意外に知られていないことですが、チャーチルは文学者でもあります。

『第二次世界大戦回想録』The Second World War (6巻,1948~54)という本を書いて1954年にノーベル文学賞を受賞しています。

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マハトマ・ガンジーの言葉

「マハトマ」は「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたガンジーの尊称です。

ガンジーは、貧困の緩和、女性の権利拡大、カースト制度の廃止など、様々な運動をインド全土で主導しました。

そして、インドをイギリスからの植民地支配から解放する為、非暴力・不服従の原則を徹底的に実行しました。

同時に数々の名言を残しています。

今日はマハトマ・ガンジーの特に私の心に残った言葉を3つご紹介します。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。


Find purpose, the means will follow.

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。


Satisfaction lies in the effort, not in the attainment, full effort is full victory.

充足は努力の中にある、結果にあるのではない。完全な努力が完全な勝利だ。

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マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉

1963年のキング牧師の有名な演説 I have a dream. 「私には夢がある」は、当時広く共感を呼ぶました。

キング牧師の運動により米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に公民権法が制定されました。

その運動の特徴は「非暴力主義」インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫きました。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといえば、1番有名な言葉は このI have a dreamですが、他にも様々な言葉も残しています。

特に私の心に響いた言葉を3つご紹介します。

Take the first step in faith. You don’t have to see the whole staircase, just take the first step.


「疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべてが見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです」

We must accept finite disappointment, but never lose infinite hope.


「私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない」

If you can’t fly then run, if you can’t run then walk, if you can’t walk then crawl, but whatever you do, you have to keep moving forward.

「もし飛べないなら走ればいい。走れないのなら歩けばいい。歩けないのであれば、這っていけばいい。何があっても前に進み続けなければならなのです」

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カナダ特集 Part 5 – ケベックの誇り

あまり馴染みのある方は少ないと思いますがこの写真はカナダケベック州の州旗です。

カナダの中でケベック州は少し複雑な州です。

何故複雑であるかについて、ご説明させていただきます。

カナダケベック州の車のナンバープレートの下の部分には必ず、フランス語でJe me souviensというフレーズが書かれています。皆さん、どういう意味だと思いますか?

Je me souviensの意味は”私は忘れない”です。

この言葉には非常に深い意味があります。

ジュムスヴィアンと読みますがこれはケベック州の公式モットーです。

何を忘れないかいうと、それはフランス語であり、フランス文化です。

カナダへ最初に植民したのはフランス人でした。しかし、その後、イギリス人とフランス人が戦争をして、イギリス人が勝ち、国全体を英語化する動きがありました。

誇り高いフランス人はそれを阻止して、カナダでは今でも英語とフランス語の両方が公用語として使われていて、カナダのお札の上にも英語とフランス語が併記されています。

私が丁度、カナダトロントにいた1994年はレファレンダムと呼ばれたケベック州住民の投票があり、独立反対51%、独立賛成49%でギリギリケベック州はカナダにとどまりました。

もし、ケベック州が独立していたらカナダという国は成り立たなくなっていたかもしれませんので1994年はカナダにとっては歴史的な年でした。

この様な歴史的背景もあり、カナダの首相は国民に話しかける時は英語の後で必ずフランス語でも同じ内容の話をします。

わたしの経験ではケベック州でもモントリオールの様な大都市では英語が通じますが、ケベック州の田舎へ行くと話されている言葉はフランス語だけで、英語は通じませんでした。

Je me souviensとは“私はフランス語、フランス文化を忘れません”という強いメッセージなのです。

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カナダ特集 Part 4 – カナダの歴史

15世紀に西欧史上でカナダを発見したとされるのが、イタリア人探索家のジョン・カボットとフランス人探索家のジャック・カルティエです。


16世紀になるとフランスが植民地・ヌーベルフランスを設立しますが、アメリカに植民地を広げていたイギリスとの対立が激化します。


対立の結果1763年のパリ条約によってイギリスの植民地として、約100年に渡りイギリスの支配下に置かれることとなります。

その後1885年に大陸横断鉄道が完成し現在のカナダが誕生します。


第一次世界大戦後には外交権が認められ、カナダとしての独立を果たしました。

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カナダ特集 Part 3 – カナダの時差

カナダ国内の時差は何時間でしょうか? 

アメリカとカナダでは日本と違い、国内に時差があります。アメリカには東部時間、中部時間、山岳部時間、太平洋時間の四つに加えて、アラスカ、ハワイ-アリューシャンはら時間があることは皆さんご存知の方も多いかと思います。 

ところで、カナダでは更に東に二つのTime Zoneがあることをご存知でしょうか?

カナダには東部時間より更に1時間早いノバスコシア州の大西洋時間更にそこから30分だけ早いニューファンドランド州時間があります。

したがってカナダの東の端と西の端には4.5時間の時差があります。

何故、ニューファウンドランド州は大西洋時間から0.5時間早く、東部時間から1.5時間早いという妙な刻んだ時間帯なのでしょうか? 

実は、この時間帯はかつてニューファンドランドがイギリス植民地であった頃の名残です。

1963年に州政府が他の大西洋諸州と同じ時間帯に移行する計画を立てましたが、住民からの強い反対があり断念したそうです。 

ニューファンドランド島、及びラブラドール地域はカナダでは最も若い領土です。

1949年までニューファンドランドはイギリス植民地で、独立国のように振る舞っていました。

この年、ケベック州の様に、住民投票が実施され、賛成50.50%、反対49.50%の僅差でカナダ加入が決まったそうです。

こういう経緯があり、この地に住む人々は独立心があり、大西洋時間から0.5時間早く、東部時間から1.5時間早いという時間帯にこだわっている様です。

カナダの島といえば日本人に一番馴染みがあるのは赤毛のアンのプリンスエドワード島ですね。

わたしは90年代にカナダに6年間住んでおりましたので、カナダ10州全てを訪問しましたが、一番東に位置するニューファンドランド島は日本では余り知られていませんが、カナダ最東端の島でカナダの手付かずの自然が見れる非常に美しい島です。

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