世界の王室 Part 2 – デンマーク

世界で日本に次ぎ2位、欧州においては最も古い王室はデンマークです。

ゴーム王(936~958年)が初代デンマーク国王で、現在54代のマルグレーテ2世が在位しています。

マルグレーテ2世は1947年にデンマーク国王に即位しましたが、彼女は前国王フレゼリク9世の第一王女(第1子)で、母は海を隔てたお隣のスウェーデン王女のイングリッド王妃です。

北欧史は大きく言えば、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンをあわせたカルマル同盟、デンマークを盟主とする欧州最大の3か国連合王国からスウェーデン、ノルウェーが独立へ向かう歴史です。

その都度、撤退を迫られながらもしぶとく生き永らえたのがデンマーク王室です。

下の地図をご覧下さい。デンマークは半島ですが、首都コペンハーゲンは島の中にあります。実はNo.2のデンマークもNo.1の日本、No.の3のイギリス同様、首都は島にあるのです。

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世界の王室 Part 1 – 日本

今日から歴史の長い王室トップ10をご紹介していきたいと思います。

皆さん、世界の国の中で歴史の長い王室を持つのはどこの国だと思いますか?

No.1は日本、No.2はデンマーク、No.3はイギリス、No.4はスペイン、そしてNo.5はスウェーデンです。

何故、これらの国は長い間、王室を維持でしたのでしようか?

これには地政学的な理由がまずあります。

No.1の日本は島国ですが、No.2からNo.5の国の位置を下の地図でご覧下さい。

No.2のデンマークは半島。No.3のイギリスは日本と同じ島国、No.4とNo.5のスペインとスウェーデンもよく見ると大きな半島の端にあります。海に守られていたのです。

まず日本ですが、日本の皇室はギネス世界記録でも認定されていますが、世界で一番古い王室です。

上記しましたランキングの表では125代の昭和天皇までがリストアップされていますが今上陛下は第126代目の天皇です。

又、世界でただ一人皇帝(エンペラー)と呼ばれているのは天皇だけです。

世界には26もの王室があり、kingと呼ばれる王がほとんどですが、日本の天皇だけが皇帝と呼ばれていて、天皇の英語訳もemperorのみです。

皇帝という称号は非常に古く、ローマ帝国や中国王朝の中で用いられていた呼び方です。

そんな中、日本を訪れる欧米人は、17世紀の中程から天皇を皇帝(エンペラー)と認識し、当時の記録にも残しています。

1846年に樹立された「大日本帝国」の君主として、皇帝と呼ばれた訳ではなく、それ以前から欧米人は天皇を「皇帝」と呼んでいました。

もともと天皇という名称は、中国などの諸外国向けに作られた漢語で、一般の民衆には明治時代以降に定着しました。

それまで天皇は大王(おおきみ)とか内裏(だいり)、あるいは御門(みかど)と呼ばれていました。

天皇は明治国家の新体制が出来た時に一般の民衆に向けて流布した呼び名です。

織田信長に仕えた有名な宣教師ルイス・フロイスは当時天皇の名前をDairiと記録していたそうです。

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Concedeの意味

北京オリンピックでの日本カーリング女子チームの活躍が素晴らしかったですね。

カーリングの試合で相手に勝ちを譲るとき、コンシード(concede)という耳慣れない言葉を聞いたと思います。

ビジネス交渉では譲歩することをconcessionと言いますがconcedeとconcessionは同じ語源ですね。

何故、カーリングではギブアップではなく、コンシードという言葉を使うのでしよう。カーリングというスポーツの起源を考えるとわかります。

カーリングはもともと15世紀のスコットランドが発祥とされ、初期は上流階級が楽しんだそうです。

貴族社会のスポーツだったがゆえ、自分たちのプライドを守るため

「精一杯いっぱい戦ったが、相手が素晴らしかったから今回は勝ちを譲る」

これを、give upではなく、concedeと呼び、相手に握手を求める上品なカーリングの作法が始まったそうです。

私は昔カナダトロントに住んでいた時に誘われて一度だけカーリングをしたことがあります。

最初は氷の床掃除をしている様なずいぶん地味なスポーツだと思いましたが「氷上のチェス」とも呼ばれる頭を使う、実は奥が深いスポーツであることを知りました。

カーリングをした翌日、ひどく肩がこっていたことを覚えています。知らず知らずに肩を使っていたんですね。

2月17日 日本カーリング女子、4年前の平昌オリンピックに続き、準決勝へ進出、そして銀メダル獲得おめでとうございます㊗️

ところで、皆さん、日本は平昌、北京と2度の冬季オリンピックでスウェーデンに救われたことをご存知でしょうか?

北京オリンピックではスイスに負けたわずか20分後にスウェーデンが韓国に勝利したことで日本は準決勝進出が決まりましたね。

実は4年前、平昌オリンピックの時も日本が最終戦でスイスに敗北しましたが、スウェーデンの勝利に助けられる形で準決勝へと進みました。

そして、2月18日 北京オリンピック準決勝では今回のオリンピックで一度負けていた強豪スイスに何と8-6で勝利❗️ドラマをみせてくれました。

2月20日の決勝では残念ながら3-10でイギリスに負けはしましたが、日本カーリング女子初の銀メダルです❗️おめでとうございます㊗️

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WFHは何の略?

WFHとは何の略でしょうか?

Work From Homeです。

in WFH mode で「在宅勤務中」という意味となります。

日本ではテレワークですが英語圏ではremote work、work from home と言います。

Are you working from home ?

「在宅勤務ですか?」

Yes, we’re still in WFH mode.

「はい、まだ在宅勤務中です」

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Holy Grailの意味

Holy Grail とは文字通りの意味はこの写真の「聖杯」です。

聖杯とはキリスト教の儀式である聖餐キリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯のことをいいます。

インディージョーンズの映画にも出てきますね。

一方で、ビジネス会話では「究極の目標、困難な探究の対象」という意味で使われます。

皆さん、マイクロソフトの創業者のビルゲイツは大変な読書家であることをご存知かもしれませんが、読んだ本の宣伝をしています。

ご興味のある方は以下のURLをご覧になって下さい。

https://www.linkedin.com/posts/williamhgates_the-crispr-gene-editing-system-is-one-of-activity-6884236237146849281-Z_9Y

DNAに関する本の紹介をしていますが、その中で、「困難な探究の対象」という意味でHoly Grailという言葉が使われています。

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ケルト人とは?Part 5 (ケルト文化と日本文化)

新年あけましておめでとうございます。今年が皆さんにとって素晴らしい年になります様、祈念します。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

年越しとなりましたが、昨年書き始めましたケルト人とは?のブログPart 5をアップします。

ケルト文化と日本文化にはいくつかの共通点があります。今日はそれについて書かせて頂きます。

(1) 多神教

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教とは異なり、日本とケルト文化は、いずれも元々は多神教の文化です。

ケルト文化に妖精という最下層の神様がいるのは皆さんご存知と思います。ピーターパンの話に出てくるテインカーベルがその代表ですね。

ロードオブザリングやハリーポッターの映画をご覧になった方は、映画の中に出てくる妖精たちもご存知だと思います。ケルトにとっては神様は一つではなかった訳です。

(2) 一神教の伝来とその受け止め方

カトリックや仏教は、後からそれぞれ、アイルランド、日本へ外部からもたらされた宗教でした。

アイルランドにカトリックが入ってきたのは432年。アイルランド人にカトリックを布教したのは聖パトリックで、布教に当たりケルトのケルト土着の宗教とカトリックを融合させ、ケルト人はそれを受け入れ、1人の殉教者も出なかったそうです。

一方、日本へ仏教が伝来したのは、その約百年後の538年、百済からとされています。それを推進したのは聖徳太子でした。日本人はケルト人同様、仏教の神である仏を神道の八百万(ヤオヨロズ)の神の一部として受け入れました。

(3) 輪廻転生

ケルト人には日本人と同じ、輪廻転生の思想があります。

ケルト文化では霊魂は不滅のものと考えられています。ケルトの神話では、人間が様々な動物に生まれ変わったり、神や妖精が人間と結婚したり、魂が絶えず流動している世界の捉え方をしています。そして、ケルト人はそれを渦巻き模様で表現しています。

(4) 渦巻き模様

ケルトにはこの写真にある渦巻き模様がありますが、日本の縄文土器の模様はこれによく似ています。

ケルトの渦巻き模様「トリスケル」
縄文土器

(5) 大陸の横の島国

このブログのPart 1、Part 3でも書かせて頂きましたが、イギリスのスコットランド、スペインのガリシア地方、フランスのブルターニュ地方、そしてアメリカ、カナダへ渡ったケルト人も大勢いますが、多くはまだアイルランドに住んでいます。

ユーラシア大陸の東と西の端にある2つの島国に、固有の文化が残っていて、その文化に不思議な共通点があるのは大変興味深いです。

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ケルト人とは?Part 4 (セント・パトリック・デー、緑の日)

昔、アメリカ出張中にホテルや会社のいたるところに緑の飾りつけがされたことがありました。それは3月でした。

3月17日はセント・パトリック・デーと呼ばれるアイルランド発祥のお祝いイベントであるということを、その時に初めて知りました。

セント・パトリック・デーは今ではアイルランドに加えて、アイルランド系移民の多いアメリカ、カナダ、オーストリアだけではなく、世界各地に広がりましたが、まだ日本では余り知られていないと思います。

世界中のこのイベントの熱狂振りをニュースで見た方もいらっしゃるかもしれません。

セント・パトリック・デーの由来を少し調べてみました。

西暦432年にアイルランドにキリスト教の宣教師が訪れ、カトリックを布教しました。

この宣教師の名前が後に聖人となったセント・パトリックです。ケルト系キリスト教の始祖といわれています。この方の功績を讃えて、制定されたのが3月17日です。

この日はセント・パトリックの命日で、アイルランドでは祝日になっています。

セント・パトリックは461年に他界するまで、アイルランド中を旅しながらキリスト教を広め、各地に修道院・学校・教会を建てました。

もともとセント・パトリックは「セント・パトリック・ブルー」と呼ばれる空色を使って描写されていたそうです。

しかし、アイルランドは緑多い風景から「エメラルド色の島」とも呼ばれていて、このお祭りではアイルランドのシンボルカラーである緑が後に使われる様になったそうです。

アイルランドに敬意を表して、緑を用いているのです。

セント・パトリックス・デーには、いたるところで三つ葉のクローバーをみます。

これは「シャムロック」と呼ばれるアイルランドの国花です。

又、セント・パトリックス・デーでは、緑色の帽子を被っている人をよく見かけます。

この帽子は、アイルランドの伝承に登場する妖精・レプラコーンがかぶっているものです。

もともとケルト人は多神教でしたが、セント・パトリックスによりキリスト教カトリック信徒となりました。

このお祭りはアイルランドに後から入ってきたキリスト教のお祭りであるにも関わらず、お祭りの色はアイルランドの緑、三つ葉のクローバーはアイルランドの国花、そして緑色の帽子はアイルランドの伝承の妖精がかぶっていたものであったというのは大変興味深いです。

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ケルト人とは?Part 3 (カナダのケルト人)

Part 1で書きましたが、ケルト人はローマ人、アングロ・サクソン族にヨーロッパから追いやられて、アイルランドを安住の地としました。

しかし、1840年代にアイルランドでジャガイモ飢饉が起こり、百万人が飢えや病気で死に、2百万人が生きるために北米へ移民して行きました。

アイルランドから出たケルト人達のその主な行き先はマサセーチューセッツ州ボストンでしたが、スコットランドにいた一部の人たちはカナダの東部へ移住しました。

それは今のカナダのノバスコシア州です。

「新スコットランド」をラテン語で言い換えると「ノバスコシア」となり、この名前は今のカナダの州名として残っています、

そして、「ノバスコシア」を設立した地域は主にケープ・ブレトン島という島で、現在もこの地域にはたくさんのスコットランド系の人たちが住んでいます。

カナダ本土に移住しなかった為、この地にはケルト文化が色濃く残っています。

日本では余り知られていませんが、カナダのノバスコシア州出身の歌手Rankin Familyの音楽を2曲ご紹介します。

この女性3名、男性2名のグループは皆カナダのノバスコシア州出身の兄弟姉妹です。

このグループはスコットランドでも話されていたケルト民族のオリジナル言語であるゲール語の歌も2番目の写真にある、以前わたしが購入したCDのアルバムの中で歌っています。

この2曲は私がカナダのトロントに住んでいた1990年代にカナダで人気の曲でした。今でも時々聞いています。

Rankin family WE RISE AGAIN、NORTH COUNTRY

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ケルト人とは?Part 2 (ケルト音楽)

ケルト人の伝統的なケルト音楽はアイルランドだけに残っている訳ではありません。

イギリスのスコットランド、スペインのガリシア地方、フランスのブルターニュ地方、カナダやアメリカのアイルランド移民が多く住んでいる地域でも継承されています。

ケルト音楽の継承者はアイルランドのアイルランド人だけではないということです。

更に言いますと、ケルトとは正確にはアイルランドのアイリッシュだけではなく、広い地域に移り住んだケルト民族・文化の総称です。

最近ではこれらの地域間の国境を越えたケルト音楽の交流も盛んです。

アイルランドの伝統音楽をケルト音楽と呼ぶのは正しいですが、ケルト音楽には実はアイリッシュでないものもあります。

又、アイルランド人が現在演奏している音楽でも、ロック、ポップス、クラシック、ジャズでなく、伝統音楽であるということを明示するためにケルト音楽と呼ぶこともあると思います。

私がよく聞きます現代のケルト音楽をご紹介させて頂きます。

エンヤのOnly TimeとCeltic WomanのYou Raise Me Upの2曲をお聞き下さい。

私はいつも静かな部屋で一人聞いていますが、いずれも心が穏やかになる素晴らしい曲です。

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ケルト人とは?Part 1 (ケルト人の歴史, アメリカのケルト人)

昔からケルト民族、そしてアイリッシュについて興味があり、本を読んだり、自ら見聞きしたことを一度まとめておこうと思っていました。

今日からケルト人の歴史、文化について少しまとめてみることにします。

ケルト人は青銅器時代の末期に誕生した古代のヨーロッパを席巻した共通の文化や宗教を持った集団でした。

ケルト人は常に部族単位で活動していて、国家を形成しませんでした。

一時期はヨーロッパを席巻したケルト人でしたが、ローマ時代にローマ軍の組織力の前に衰退し、西へと追いやられました。

彼らは当時、不毛の地とされていたブリテン島とアイルランド島に移り住みました。

その後、ブリテン島はローマの侵攻を受け、さらにアングロ・サクソン族にブリテン島を侵攻されました。

西へ逃れたものはウェールズ、アイルランドへ、北はスコットランドへ、南西に逃れたものはコーンウォールに、海を渡った ものはブルターニュに移住しました。

ケルト人はその後はアイルランド島を安住の地としました。そしてケルト人 は、アイルランド人、アイリッシュとなってゆきました。

アイルランドのアイリッシュは16世紀にイギリスからケルト人のオリジナル言語であったゲール語を使うことを禁止され、踊る事さえも禁止されてしまいました。

しかし、アイリッシュは諦めず、窓を通して外から見られても踊っていることが分からないよう、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンス「アイリッシュダンス」が誕生したそうです。

アイルランドは現在は人口4百万人ほどの国ですが、以前は8百万人の人口がいました。

ところが1840年代にアイルランドでジャガイモ飢饉が起こり、百万人が飢えや病気で死に、2百万人が生きるために北米へ移民して行きました。

これが今のアメリカのアイルランド系アメリカ人の一番大きなルーツです。その後もアイルランドから北米への移民は続きます。

1997年に上映された映画「タイタニック」では1912年に3等船室に乗ってアメリカへ渡っていったアイルランド人が描かれていました。

東海岸のマサチューセッツ州ボストンはアイリッシュの町として有名で、飢饉の移民の内10万人がボストンに行きました。

マサチューセッツ州の人口の4分の1弱が自称アイルランド系です。

アメリカで主流のWASP(*)ではない一番最初のアイルランド系のアメリカ大統領となった人物と言えば、ボストン出身のジョン F. ケネディー大統領です。

(*) WASPとはWhite Anglo Saxon Protestantの略で、白人、イギリスアングロサクソン族、宗教はプロテスタントを信仰している人々のことをいいます。

ケネディ大統領はジャガイモ飢饉のときのアイルランドからアメリカへ渡った移民のひ孫にあたります。

アメリカにはケネディ大統領の後もアイルランド系の大統領が出ています。

ケネディ大統領の後に、レーガン大統領、クリントン大統領もアイルランド系、そしてバイデン大統領もアイルランド系です。

バイデン大統領で4人のアイルランド系アメリカ大統領が誕生していることになります。

今でもアイリッシュダンスはこの写真にあるように素晴らしい伝統的なダンスとして世界中で観客を魅了しています。

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