ケルト人とは?Part 1 (ケルト人の歴史, アメリカのケルト人)

昔からケルト民族、そしてアイリッシュについて興味があり、本を読んだり、自ら見聞きしたことを一度まとめておこうと思っていました。

今日からケルト人の歴史、文化について少しまとめてみることにします。

ケルト人は青銅器時代の末期に誕生した古代のヨーロッパを席巻した共通の文化や宗教を持った集団でした。

ケルト人は常に部族単位で活動していて、国家を形成しませんでした。

一時期はヨーロッパを席巻したケルト人でしたが、ローマ時代にローマ軍の組織力の前に衰退し、西へと追いやられました。

彼らは当時、不毛の地とされていたブリテン島とアイルランド島に移り住みました。

その後、ブリテン島はローマの侵攻を受け、さらにアングロ・サクソン族にブリテン島を侵攻されました。

西へ逃れたものはウェールズ、アイルランドへ、北はスコットランドへ、南西に逃れたものはコーンウォールに、海を渡った ものはブルターニュに移住しました。

ケルト人はその後はアイルランド島を安住の地としました。そしてケルト人 は、アイルランド人、アイリッシュとなってゆきました。

アイルランドのアイリッシュは16世紀にイギリスからケルト人のオリジナル言語であったゲール語を使うことを禁止され、踊る事さえも禁止されてしまいました。

しかし、アイリッシュは諦めず、窓を通して外から見られても踊っていることが分からないよう、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンス「アイリッシュダンス」が誕生したそうです。

アイルランドは現在は人口4百万人ほどの国ですが、以前は8百万人の人口がいました。

ところが1840年代にアイルランドでジャガイモ飢饉が起こり、百万人が飢えや病気で死に、2百万人が生きるために北米へ移民して行きました。

これが今のアメリカのアイルランド系アメリカ人の一番大きなルーツです。その後もアイルランドから北米への移民は続きます。

1997年に上映された映画「タイタニック」では1912年に3等船室に乗ってアメリカへ渡っていったアイルランド人が描かれていました。

東海岸のマサチューセッツ州ボストンはアイリッシュの町として有名で、飢饉の移民の内10万人がボストンに行きました。

マサチューセッツ州の人口の4分の1弱が自称アイルランド系です。

アメリカで主流のWASP(*)ではない一番最初のアイルランド系のアメリカ大統領となった人物と言えば、ボストン出身のジョン F. ケネディー大統領です。

(*) WASPとはWhite Anglo Saxon Protestantの略で、白人、イギリスアングロサクソン族、宗教はプロテスタントを信仰している人々のことをいいます。

ケネディ大統領はジャガイモ飢饉のときのアイルランドからアメリカへ渡った移民のひ孫にあたります。

アメリカにはケネディ大統領の後もアイルランド系の大統領が出ています。

ケネディ大統領の後に、レーガン大統領、クリントン大統領もアイルランド系、そしてバイデン大統領もアイルランド系です。

バイデン大統領で4人のアイルランド系アメリカ大統領が誕生していることになります。

今でもアイリッシュダンスはこの写真にあるように素晴らしい伝統的なダンスとして世界中で観客を魅了しています。

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