勝海舟 Part 2 – 渡米

勝海舟は咸臨丸を操縦して、遣米使節団の一員としてアメリカへ向かいます。

最初に上陸したのは西海岸のサンフランシスコでした。

日本から来た初めての使節ということで一行はアメリカ人から大歓迎を受け、サンフランシスコからは大陸横断鉄道でワシントンD.C.へ向かいます。

皆さん、アメリカに到着して、勝が1番驚いたのはなんだったと思いますか?

それは、初代大統領ジョージワシントンの御子息は?とアメリカ人に聞いても誰もわからないという状況でした。

既にアメリカでは国民がリーダーを選ぶ民主主義国家であった訳ですから、あたり前ですが、当時、日本は徳川時代ですから徳川家康から続く世襲の政権であったので、どうしてジョージワシントンの子孫をアメリカ人は知らないのかと、勝は非常に驚いた訳です。

実は、ジョージワシントンは子連れの未亡人と結婚し、実の子はいません。もしジョージワシントンに実の息子がいたら、ワシントン王朝ができて、世襲されていたのではないかということをいう歴史家もいますが、アメリカではそれはないと私は思います。

勝が首都ワシントンDCで宿泊したホテルはホワイトハウス近くのWillard Hotelといいますが、このホテルは実はまだ存在します。

私はこのホテルのレストランで一度、食事をしたことがあります。

勿論、建物は当時から立て直されていますが、1860年に日米修好通商条約の批准書を交換するため渡米した勝を含む遣米使節団一行が宿泊したホテルであることを示す展示がホテルの中にありました。

ワシントンDC Willard Hotel

勝はアメリカから帰国後、老中からアメリカでの状況を報告するよう依頼を受け、報告します。

ここで、勝はすました顔で、アメリカは日本とさしたる違いはございません。しかし、アメリカでは大統領を初めとして人民がリーダーを選び、日本と違い、その地位に相応しい優秀な方が国を統治しておりますと、大変失礼な説明をして老中を怒らせてしまいます。

アメリカ人以上にストレートに発言する勝らしいエピソードだと思います。

次回、勝海舟Part 3では、勝の交渉術について書かせて頂きます。

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